夕方、宿の二階にいると、ピンポーンと呼び出しのチャイムが鳴った。
下に降りてみると、「こんにちわー」と聞き覚えのある女性の声。
「あれ〜っ」一組の中年カップルと1匹の大きな犬だ。
女性は今まで何回も来てくれた人。
共和町に彼女とほかの何人かで飼っている馬がいて、
以前は、その馬に会いに来たと言っていた。
黒いメガネをかけた男性は、彼女のご主人だった。
犬はラブラドールレトリバーの盲導犬だ。
目の不自由なご主人に同行して、富山から来てくれたのだ。
事前に犬が来るとは聞いていなかったのでびっくり。
「盲導犬は、どこのホテルでも飼い主と一緒に泊まっていい
ことになっているんです」とご主人。
ローリー君という名前のその犬は、犬と思えないほど
落ち着いていて、静かにご主人を守っていた。
ご主人は「ずいぶん前にここへ2人で来たことがあるんですよ」
という。
「その時はぼくもまだ少し視力があったので、
犬は連れていなかった」
マルコは、いつもはほえないのだが、びっくりして
ワンワンいっている。
マルコは、自分より大きいか強そうな犬にはほえる。
ローリー君は30?ぐらいだそうで、マルコの2倍だ。
私の陰に隠れてしばらくほえていたが、鳴き止んだ。
ローリー君はゆったりと床に伏せをして、マルコと遊ぼうと
思っているようだ。
マルコはお客さんにはすぐになつくのに、
大きな犬のそばには行こうとしない。
犬は出会ったら、一瞬にして相手は自分より強いかどうか
見分けるのだそうだ。
体の大きさには関係ないのだとか。
相手が落ち着いていると、「負けた!」と思うんだそう。
おもしろいことだ。
人間も、落ち着いている人にはかなわないということかな。
盲導犬は、ご主人と外出するときは、背中に「お仕事中です」
と書かれたリュックのようなものをしょっている。
こういうときは、犬には触ってはいけないそうだ。
ご夫婦と盲導犬は、富山から新幹線とJRに乗って来たという。
すごいなぁ。
その晩は、ツインの部屋でローリー君も一緒に寝た。
といっても、足元で、だが。
おとなしく静かで、ワンともスンともいわなかった。
翌朝起きると、ローリー君は玄関の外でご主人に
ブラシをかけてもらい、腰にビニール袋をぶら下げると、
その中に大小の排泄をした。全く漏らすことがない。
これまたすごい!
そして、かわいい洋服に着替える。
マルコは終始遠巻きに堂々とした相手を見ている。
いつもはお山の大将だった自分が、
「なんて小者だったんだろう」と思い知ったようだ。
「ホテルに泊まって、飼い主が自分の部屋を忘れても、
犬がちゃんと連れて行ってくれるんですよ」とご主人。
ご主人は学校の先生をしているそうで、
いつも犬が一緒なのだろう。
奥さんは乗馬が趣味で、相当な達人らしい。
「主人も乗るんですよ」というので、
「一緒に乗るのですか」と聞くと
「いいえ、ボクは別の馬です。前の馬に彼女が乗っていると、
後ろの馬は前の馬に自然について行くから、ボクは見えなくても
心配はいらないんです」という。
「え〜っ、そんなことができるの?」
なにもかもびっくり。
ご夫婦のチャレンジ精神と、お互いを支えあいながら
まっすぐ前を向いた生き方には感動する。
「この犬は今年の秋に10歳になります。そこで仕事は終わり
です。引退した犬の世話をしてくれる家庭に引き取られるんです」
「それは寂しいですね。まだこんなに仕事ができるのに」と私。
「そうなんですよ」とご主人。
「人間も延長雇用というのがあるので、犬もそれができたら
いいのにね」
「私も定年を過ぎて仕事をしていますから」と彼。
マルコは立派なローリー君に終始圧倒されたようで、
少し離れたところから遠慮がちに見ていた。
「また今度来るとしても、ローリーはいないねぇ」とご主人。
2人と一匹は、温かくも一抹の寂しさを残してゆっくりと
歩いて去っていった。
初めての場所でも落ち着いている盲導犬
左はローリー君。向こうはマルコ。なんとなく逃げ腰
あ〜あ、帰っちゃった。もう1日いると仲良くなれるんだけどなぁ