暑さと忙しさで、意識ももうろうとしている夏の終わり、
釧路湿原のなかにある町から、年配の女性が1人で
泊まりに来た。
1週間の滞在ということで、「大丈夫かな?」と
心配した。
何が大丈夫なのかって? まず第一に健康、そして、
思っていたのとは違う、こんなところに長くはいられない
というのではないかとの心配である。
以前に88歳ののぶおさんが滞在した時も、本人はとても元気
だったもかかわらず、心配した。
突然体調を崩すということがないとも限らないからだ。
のぶおさんは、こちらのそんな思いを振り切るように、
あっぱれな滞在ぶりで、風のように去っていった。
今回は、初めてわが宿に来たれいこさん。
80代後半ということで、以前20年以上小樽に住んでいた
という人だ。ご主人は小樽の名だたる企業だった「三馬ゴム」
の広報担当の社員だったそう。
2人の子供を育てた小樽には思い出がたくさんある。
わが宿の小さい洋室、セミダブルベッドが一つある部屋で
1週間暮らせるかな、と心配していたのだが、
私が「ここで大丈夫ですか?」とあまりに心配するので、
ご本人は「この女将は何を心配しているのかな?
私がお金を払わないとでも思っているのかしら」などと思った
らしく、「さきにお金を払っておきますよ」といった。
いえいえ、そういうことではないのですが…
私は、年配者について、妙に心配するタチなのかも
しれない。
というのも、高齢の両親をそばでみていて、
一挙手一投足に目を凝らしていたことがあるからだ。
一度も泊ったことがない宿なのに、1週間も予約
していいの? という気持ちだ。
どうしてかもめやにしたかというと、以前からブログを読んで
いて、ここにしようと思ってくれたとのこと。
そっかぁ、ブログにも責任あるよなぁ…
聞けば、7年前にご主人が亡くなり、息子さん夫婦と隣同士で
暮らしているそう。ご本人は一人旅が好きで、長崎に1か月、
鹿児島に1か月と滞在したりするという。
「旅先のお風呂で転んで骨折して長いこと入院したんだけど、
息子や娘には内緒にしていたの」と。
うわっ、すっごいつわもの!
「気に入った土地で長く滞在して『暮らすように旅をする』
というのが好きなの」という。
いい言葉だなぁ。でも、そんなに長く、人は知らない土地に
滞在できない。
彼女は子供が小さい時、小樽の自宅で家庭文庫を開いたり、
病院に難病で入院していて、家には帰れない子供たちのために
図書を用意してあげたり、読み聞かせをしたりしたそうだ。
今回の旅は、そんな若き日の思い出の場所を訪ねて、
楽しかった家族との暮らしを確認したいとの思いもあったようだ。
「主人とはよく話をして、彼に話せばなんでもわかってくれた。
ほかの人と特に交流する必要がなかった」というほど
気が合っていて、夫の亡きあとの喪失感はかなりのものだった
ようだ。
今回の彼女の部屋のテーブルの上には、ご主人の写真が
飾られていた。
「子供が小さい時、水天宮の近くに住んでいて、夕方毎日
主人が会社から帰ってくる時間には、神社の高い階段の
上に子供たちと座って待っていたの。子供が身を乗り出して
落ちないようにいつも押さえていたものよ。
すると、主人が向こうから歩いてくるの」
なんという光景だろう。映画のワンシーンだ。
監督は山田洋次か…
「主人は子煩悩で、大雪の日には、子供が学校へ行くのに
雪に埋まらないように、除雪された道までランドセルを
しょったままの子供をおぶって行ったのよ」
この話を聞いただけで、泣けてしまう。
彼女は滞在中、思い出の場所をあちこち訪ねたようだ。
その装いは、真っ白な帽子に、長い純白のコートドレス、
白い靴。天使が降り立ったようだ。
地元で長いこと押し花の先生をしているという彼女は
また野の花が好きだという。
たまたま裏の線路跡の花畑で花を熱心に眺めている彼女を
遠くから見た。
まるで緑の中に降り立った妖精のように見えた。
これは言葉の比喩ではなく、ほんとうに存在そのものが
花畑に溶け込んでいるように見えたのだ。
この人は詩人で、心が純化している。
すると、人の目にもそのように見える。
いや、スピリチュアルを自称している私の目には
そう見える。
「主人が亡くなった年齢に私もなったの。主人と約束したのよ。
その年になったら、必ず私を迎えに来てねと。
でもね、まだ来てくれないの」と、彼女は真剣なまなざしで
言った。
「あぁ、それはね」と私は、確信に満ちた口調で
切り出した。
「ご主人がこういっているわよ。僕のかわいい子供たち、
孫たちを僕の代わりに見ていてほしい。だから、まだまだ
君はそこにいなくちゃいけない。いてあげなくちゃいけない。
僕からのお願いだよ、ってね」
私は、ときどきこういうことがある。
亡くなった人から、今生きている大切な人へのメッセージを
どうしても取り次がなくてはならないという思いに
駆られることが。
このたびもそうだった。
「えっ? ああそうか」と彼女は突然目覚めたように言った。
「私は、いままで、自分の側の思いだけを言っていた。
確かに彼ならそういうはずだわ」
彼女は、すぐに納得した。
我ながら不思議だが、今までに何回かこういう経験を
したことがある。
亡くなった人の、これを伝えてほしいという思いが
胸にあふれてきて、やむなくそれを必要な当人に
伝えるというものだ。
こんな自分を、自称「スピリチュアルな人」
と呼んでいる。
今回は、白い妖精の旅人に、大切な人からのメッセージを
確かに伝えた。
近くの日本郵船の修復がだいぶ進んだ
空がきれいだなぁ