三寒四温というにはまだ少し早い三月半ば。
私の生まれ故郷の北の町、美深で暮らしたことがある
お客さんが、3人で予約してくれていた。
夜遅く到着した3人のうち2人は60代の姉妹、
もう一人は70代の男性である。
荷物もその場に置いたまま、姉妹は美深で暮らした日々の
ことを話し始めた。
美深は私の母の実家があるところで、母の姉たちが住んでいた。
私が5歳くらいのころだったか、弟が生まれて
母が忙しかったのか、私だけ美深の叔母の家に1年ほど
預けられていたことがある。
小樽と違って、海はなく、大きな天塩川が流れ、
畑が広がる雪深い町。
その家は、伯父と叔母と高校生の息子が一人。
わが家にいるより私はかわいがってもらっていた。
そのころ、こんな言葉を耳にした。
「くにのこりょう」
叔母の家からずいぶん離れた丘の上に、童話の世界の
家みたいなところがあるらしいことを知った。
「くにのこ? かずのこ?」
子供だから、その意味はわからず、何だか素敵な
洋風の建物を想像していたが、一度も
見る機会はなかった。
戦後間もないそのころはやった歌がある。
緑の丘の赤い屋根♪
とんがり帽子の時計台
鐘が鳴りますキンコンカン
メェメェ子ヤギが鳴いてます♪
ー ー ー
「鐘の鳴る丘」という曲で、戦災孤児が収容され
育てられていた建物とその子供たちの歌だ。
古関裕而の作曲だそう。
「国の子寮」はまさにそんな家だったのである。
美深でその家を始めたのは、その町の名士の奥さん
だったが、子供ながら「あの奥さんは立派な人だよ」
と大人が言っていたのを、今でも覚えている。
さて、今日わが宿に来た人は、戦後だいぶたってから
そこに預けられた姉妹と、その時大学を出て赴任してきた
その施設の先生だ。
姉妹は当時2年生と5年生。戦災孤児ではなかったが、
そこは、家庭の事情で家では暮らせない子供たちが住む
児童養護施設になっていたようだ。
姉妹は、そこで高校生まで暮らしていたという。
2歳から18歳までの子供たち12〜13人がいつも一緒だった。
姉妹はそこでの暮らしをいきいきと語った。
「親がいなくて、大人と言えば、そこで一緒に暮らす
先生と、学校の先生だけ。大人というのはどんな人なのか
わからなかった」
「でも、この先生はギターを弾いたり、レコードをたくさん
持っていて、いつも音楽を聴いていたり、バイクに乗っていたり
してかっこよかったの」
「バイクの後ろに乗せて、どこかへ連れて行ってくれた」
「先生を見て、大人の世界って楽しそうだなぁと思ったのよ」
親でもない、学校の先生でもないこの男性が、
若いのにどんなにいつくしみ深く、あたたかい人だったかが
わかる。
この日、3人でかもめやに来たのは、姉妹が昔お世話になった
この先生を懐かしんで、感謝の気持ちを伝えたいと思った
からのようである。
この先生は、心の中に深い静けさと慈愛のある人のよう
だった。
若いころは美深でこの施設の子供たちと家族のように暮らし、
その後は、福祉関係の仕事を続け、いくつかの公の老人施設
の長も務めたようだ。
姉妹の姉は看護師、妹は福祉関係の仕事をして、現役で
ものすごく立派に活躍している。
話をしていると、女性ながら、どの職場でもトップを
務める力のある人だと思える。
それもこれも、大家族の家庭・つまり施設で、年齢も
事情も違う大勢の子供たちと一緒に暮らした経験が、
豊かな社会性を身に着ける要因になったのではないかと
思える。
少々のことではへこたれない、常に周りの人のことを
思いやる習性が身についている姉妹。
そんな子供たちを温かく見守る親のような、ずいぶん
年上の兄ような先生の存在。
小さな家庭より、もっとスケールの大きなコミュニティー
の、人を育てる豊かなあり方をこの目で見た。
3人が昔一緒に暮らしたときの姿を、「アルプスの少女ハイジ」
のような世界に重ね合わせて、一人想像に浸っていたら、
なんと、また今日の別のお客さんでもある美深の農場宿
「ファーム イン トント」に、去年の今頃就職した
ミユキさんがやってきた。
今、休暇をもらって旅行中だとのこと。
昨年、赴任地の美深に行く途中に、偶然わが宿に
泊まった人である。
「これから、かもめやのお客さんの先生と
くろくまバーで会うことになっているんです」という。
彼女と会う先生も、今日はうちへ泊ることになっている。
先生とは「インドの聖者」こと、昔の北大応援団副団長だ。
彼は、かもめやで、ファーム イン トントのミユキさん
のことを聞いて、そこへ泊りに行ったことがある。
なんというつながりだろう。
ミユキさんは、東京から美深へ来てこの1年、
羊のいる農場宿で忙しく働き、何とか乗り切った。
「今年はトントで犬ぞりもやる予定です。
今、犬を11頭飼っています。どうなるんでしょう」
と期待しつつも悲鳴を上げていた。
今日は宿のお客さん全員が美深にゆかりのある人だ。
何でだろう…不思議。
そういえば、1か月後のこの日が母の命日だ。
母は、この日を待ちきれなくて、美深に縁のある
人々を全員集合させたに違いない。
小樽の中央にある小樽公園の高台から湾の向こうの山が見える
骨折した左手がようやく治ったが、またまた引っ張るマルコ
向こうのスキー場天狗山を臨む