早朝、目が覚めると、開け放してあった窓から
ひんやりとした空気が流れてきた。
そうか、もう9月なんだ。
まだまだ灼熱の日々を送っている本州の人たちには申し訳
ないが、一足早い夏の終わりのキリリと引き締まった空気は、
北海道だなぁと感じる瞬間だ。
この夏は、病後の息子と、老年の私の体力を考えて、
例年のようにインターネットでの予約を受けなかったので、
いつもの年よりはずっとお客さんは少なかったはずだが、
それでもわが宿を覚えてくれている人たちが次々と訪れて、
それなりに忙しかった。
知らぬ間にずっしりと背負っていた夏の疲れを身に感じながら
空を見上げると、うろこ雲が、秋の始まりを告げていた。
そうか、夏の終わりは人生を振り返るときでもあるかも
しれないなぁ。
暑さの中を夢中で走り抜けた日々。
浦島太郎が、竜宮城で乙姫様と過ごした夢のような時間
…。いやいや、それよりも過酷だ。
ハッと気がつくと、元いた浜辺に戻っていたが、
すっかり年を取っていた。
北海道の9月は、そんなときだ。
夏のさなかに、山梨から88歳の男性が一人で来るという。
この人は、元高校の教師で、書家でもある。
少し前に、昔東京で私と一緒に仕事をした女性が
かもめやに来た。
そうそう、林真理子の高校の後輩だったという彼女。
山梨に帰って、高校時代の恩師で、彼女が今書道を習っている
この先生に小樽のかもめやに行ったことを話したら、
彼は「ぜひ行ってみたい」といったそうだ。
それも一人で。
「え〜っ、この暑いさなかに…」と私。
「それもね、新潟から船で小樽に行くというのよ。
心配なんだけど、大丈夫かな」と彼女。
「う〜ん」なんとも返事ができかねた。
「朝の4時半に小樽港に着いて、その日の午後、
エスコンフィールドに行きたいっていうのよ」
「うちのチェックインはその日の午後3時からなんですけど…」
こんな具合だったが、いろいろ考えた末、早朝に宿の部屋を
開け、休んでもらった。
午前中に北広島のエスコンフィールドに出かけ、
その日はナイターを見て帰ってくるという。
「え〜っ、夜まで? 無理でしょう、この暑いのに」
それでも出かけたが、「やっぱりナイターはやめました」
と、夕方近くに汗だくで帰ってきた。
高齢の人は、自分がしたいと思う気持ちに体力が追いつかない。
手持ちが500円なのに、1000円のものを買いたいと
思うようなものである。
結局、かもめや近くの線路跡を歩いたり、北運河を散策したり
して3日間を過ごした。
「お客様は書家とお聞きしていましたが、どんなものをお書き
になるのですか?」と聞くと、
「うん、今さら愛とか誠とかいう字は書く気がしないねぇ」
といった。
今回船で来たのは、船旅で何かしら感じるものがあるかも
しれないという期待があったようだ。
それが書になるのだろう。
旅に出て、行く先々で俳句を詠む芭蕉みたいだな、と思う。
帰りは駅まで送り届けたが、リュックの肩ひもが切れて、
手に持って帰るというので、心配した。
後日、大きな茶封筒が送られてきた。
中にはこの人の墨筆の色紙が入っていた。
「寛恕」の2文字がゆったりと書かれている。
中には手紙が入っており、「色紙の❝かんじょ❞という文字は
孔子の言葉で、『広い深い思いやり』という意味です。
図らずも今回は佐藤さんから『思いやり』を頂戴しました」
と書いてあった。
また、私の本の「トコトコ歩記」を読んでくれ、
「人は知らぬ間に、季節が変わるようにこの世を去る」という
文章が心に残った、という。
そんなこと、書いたっけ、と私。
やっぱり国語の先生だなぁ。
すべてを深く読み、解釈する。人生が深くなるはずだ。
「寛恕」の文字はかもめやの勲章だ。
18年の宿屋人生が、この二文字で一気に報われた気がした。

88歳の書家から贈られた色紙

いつも通りがかりに眺める、ツタのからまる石造りの旧家。
私の好きな建物だ