道東の釧路湿原にある町から、レイコさんがやってきた。
昨年は猛暑の中を、1週間ほどわが宿に泊ってくれた
この人は、今年87歳。
現役のブロガーで、「海見えて」というタイトルで、
今もブログを発信している。
またの名を遠音さん。
昔、三馬ゴムに勤めていたご主人と2人の子供の家族で
水天宮の近くに住んでいたことがあるという。
夕方、ご主人が会社から帰ってくるのを、小さな子供たちと
毎日水天宮の急な階段の上に座って待っていたという話を
かもめや日記に書いたことがある。
遠くからお父さんが歩いてきて、鳥居をくぐり、
階段を上ってくる。
この光景は、映画になるなぁとつくづく思ったものだった。
ご主人が亡くなって、もう8年ぐらいになるが、
彼女は旅先の部屋に、小さな夫の写真たてを飾っている。
昨年は、自分が夫の亡くなった年になったので、
早く迎えに来てほしいと真剣なまなざしで語っていた。
今年は、「主人が、結婚した日に渡してくれた詩集が
見つかったの」といって宿に持ってきた。
詩集のタイトルは「約束」だった。
ご主人は、詩も書き俳句も作る文学青年であったようだ。
その中にこんな詩があった。
やさしいひとへ
ぼくなんか
はなればなれになるたびに
お前の悲しみがよくわかる
封筒なんか空っぽにして
お前の悲しみを嗅いでいる
海を見たり雪をたべたり
小鳥屋の前に突っ立ったり
知らない女の子をまじまじ見たりして
四つ角の午後をすねている
………
こんな言葉が続く詩なのだが、彼女の心に深く届き、
知らない他人の私にもじわっとしみてくる。
今年は彼女は言葉には出さなかったが、
夫に「早く会いたい」という思いが満ち満ちていた。
家に一人でいる時は、だいぶ気持ちが沈んでいたようだ。
とっさに私にインスピレーションがわいた。
「あのね、ご主人がこういっていますよ。
“君は亡くなるまでのぼくのことを全部知っていると思うけど、
ぼくはそれだけじゃないんだよ。この詩の中に、君の知らない
ぼくがいるんだ。この詩集を読んで、まだまだ君の知らなかった
ぼくを知ってほしい” って。だから遠音さんは生きていて、
もっともっとご主人のことを知る使命があるのよ」
と私はキッパリと言った。
彼女は、思いがけない私の言葉に、はっとしたようだった。
「実は10月1日は夫の誕生日なの。
いつもは子供や孫たちと祝うんだけど、今年は小樽で
お祝いしようと思って来たの」という。
二人の思い出がある「館のケーキ」を買いに行きたいという。
息子と一緒に彼女を小樽の老舗のケーキ屋
「館」に連れて行った。
近くには、昔の思い出の水天宮がある。
そこへ行って、境内から海を眺め、子供たちと
夫を待ったという階段のところへ行ってみた。
「あぁ、変わらない、昔と同じだわ。あの時息子は
5歳くらいだったかな。もうすぐ還暦になるんだけど、
彼に写真を送ってあげよう」
すぐにケータイで写真を送る彼女。
宿に帰ってご主人の詩集を飾り、ケーキにろうそくを立てた。
まあ、なんと豪華なケーキ。
これを4つに切って、3人で食べた。
息子は厚かましくも2切れもいただいた。
詩人で家族思いだったご主人に、
「奥さんは、あなたさまとの幸せな思い出を胸に
今も健気に気丈に生きていますよ。
これからも見守ってあげてくださいね」
私は心の中でそういった。

水天宮の境内から海が見える。 昔、遠音さんが近くに住んでいた

神社のわきにある稲荷の社

水天宮本殿

遠音さんの亡くなったご主人の誕生日を祝う「館のケーキ」

ご主人の詩集